記念写真館

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2010年 03月 31日

指図

女ってやつは・・
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自分じゃ何もできないくせに命令します。
うるさい妹に母の匂いを嗅ぎつけて兄ちゃんも表情に(笑)

by shako-y | 2010-03-31 23:28 | 種牡馬列伝
2010年 03月 30日

父ちゃん早く!

早くおいで!
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とりあえずは気にしてくれるのは娘だけです。
あれ~、母ちゃんのことを見ているのかな?

by shako-y | 2010-03-30 21:44 | 種牡馬列伝
2010年 03月 28日

お勉強

撮り方次第で
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真面目にお勉強している仲の良い兄弟に見えます。
PCで100マス計算のお勉強中。
実際は公序良俗に反するような言葉を吐きあいながらのバトルです。
わたしはいつも良い子でPC空くのを順番待ち。

by shako-y | 2010-03-28 01:56 | 種牡馬列伝
2010年 03月 24日

最初の記憶

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4歳の冬。
私は母親の背中にいました。
泣きわめく私をおぶって山の上の住まいから街の眼科医へ母は200段の階段を駆け下りていた。
庭先で遊ぶ幼馴染の手作りの竹の矢が眼球に刺さった。
あの頃電話もなく余程のことがなければ救急車を呼ぶことなど考えられなかった。
自分の子供の身に起きたことが余程のことでない事を願う気持ちがあったのかもしれない。
まあ、街の眼科医も自分の手には負えないこと、大学病院への紹介状を用意することを約束して私たちを家に帰したのだからそんな時代だったということか。
 その夜、不幸にして加害者となってしまった幼馴染と両親が謝りに来たこと、翌朝生まれて初めてタクシーに乗って市大病院へ行ったことが音の記憶として残っている。
長い入院生活、2度の手術、毎日施された眼球への直接注射(あの注射液の匂いは未だに忘れられない)ジャバラ扉のストレッチャー搬送用のエレベーター、管むき出しのスチーム暖房、主治医のユタカ先生、同室の木村さんのこと。眼球摘出云々の話をする声。

 なぜか辛い、悲しいの記憶はないのです。良い先生、緊急入院のため小児病棟ではなく大人の中に一人の子供が紛れ込んでかわいがってもらえたからなのかもしれません。両親も代わる代わる看病に来てくれたのですからそれほど不自由はなかったのでしょう。
 兄は4つ上とはいえ当時は8歳、母親の愛情を弟に奪われ自分の生活は大きく乱れ彼の性格育成には大きな影響を与えてしまったとおもいます。加害者となってしまった彼のその後の生き方を見ていてもこのことが変化をもたらさなかったとは思えません。

 事故のことその痛みの記憶はありません。冒頭のことがわたしの最初の記憶です。
まあ、思い出せばその後も色々ありました。人の噂で良い医者がいると聞けばかなり遠くまで連れて行かれたし(今でも医学は進歩したのだから大きい病院で診察してもらえと言われます)
 ほぼ片目の視力に頼っての視覚は遠近感がなく正確な目標確認ができないようです、だから馬券の予想も微妙に外れるしカメラのピントも合わないのでしょう(笑)

by shako-y | 2010-03-24 14:57 | 追憶